薬師寺家3代目当主庄左衛門が豊後石灰を焼き、それを周防国小郡地方に帆船で運んで売り、帰り荷に米を積んで帰り米屋を営んでいた。 その当時は屋号を米屋と称していたが、のちに米屋の庄左衛門の頭文字を取り、屋号を「米庄」とした。